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沿革

喜界島は文正元年(西暦1466年)の琉球王の喜界島侵攻からおよそ150年間琉球王の統治下にありましたが、慶長14年(西暦1609年)の島津藩の琉球侵攻の結果、琉球から分割されて島津藩に属しました。

 

藩政時代には代官所が置かれ、代官の下に六間切に分け大親役(後に与人役~横目に代る)をおいて島政がおこなわれました。明治2年、代官所を在番所に改め喜界島六間切は三間切になり、それぞれ戸長をおきましたが、明治19年、間切制度を廃し湾方、早町方の二村に改め戸長をおくことになりました。

明治41年、島しょ町村制の施行によって両町村が合併し喜界村が誕生。しかし大正8年に再び喜界村、早町村の二ヶ村に分村し、昭和16年には喜界村は町政を施行した。

昭和21年米軍覚書によって本土と行政分離されましたが、祖国復帰の悲願達成を叫びつづけました。そして遂に昭和28年12月25日完全祖国復帰が実現しました。同年施行された町村合併促進法に基づき、昭和31年9月10日両町村が合併、喜界町が誕生しました。

喜界島今昔(写真集)

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